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それでも僕はやってない

 昨日は映画、『それでもボクはやってない』をご覧になったでしょうか。

 あれを観て、「自分も痴漢冤罪を受けないよう、電車に乗るときは気を付けよう」と思っている男性は多いと思います。

 でも、気を付けるべきは痴漢冤罪だけではない。

 あの映画の目的は、
「痴漢を疑われないように気を付けよう! 電車に乗るときには両手でつり革につかまりましょう!」
 なんていう男性限定のキャンペーンではなくて、もっと本質的な問題です。

 この日本の裁判の現状を明らかにし、全体の問題をあぶりだしているのです。


 映画では、痴漢冤罪でした。
 嘘でも犯行を認めたら罰金5万円で返してもらえる。
 有罪となったら懲役三ヶ月とのこと。

 もちろんこれもあってはならないことですし、許されざる国家の犯罪です。


 しかしさらに、殺人事件の冤罪ともなると、これだけでは済みません。

 脅迫され、苦しさに負けて犯行を認めたら無期懲役は確実。
 あるいは死刑。

 まったくやっていない罪を着せられて、
 人生を、命を、まるごと奪われるのです。


 何のために、誰のためにそのように犠牲にならなければならないのか?

 ――すべては裁判官や警察官たちの利益のために。
 彼らの、おマンマのためにです。


*****


 さて、

 『それでもボクはやってない』の周防正行監督は、なぜこのタイトルにしたのでしょうか。

 本当は描きたくても描けなかった話があるのではないか、と私は想像します。


 それはタイトルに篭められていたりするのではないか。


僕はやってない!―仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記
守 大助 阿部 泰雄

僕はやってない!―仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記

by G-Tools


 この本のタイトルは、以前、「それでも僕はやってない」だったと思うのですが気のせいでしたか?(※記憶違いだったようです、すいません)

 周防監督の映画タイトルを聞いた時、はじめ、この事件を扱ってくれたものだと思っていた。
 でも違った。
 守大助著の、本のタイトルまでいつの間にか変わっている。
 有名な映画タイトルにかけて検索されないように、とのことでしょうか。

 ただ、周防監督の気持ちをイメージしたのです。

 ほんとうはこの事件にも触れてみたかった。
 だけど事実上の検閲にひっかかってしまうから、せめてタイトルだけにメッセージを篭めたものかもしれない。(私の個人的な憶測。単なる偶然かもしれませんね)


 

 2008年2月25日、守大助被告の最高裁への上告は棄却されました。

 この不当決定について、マスコミはテレビでほとんど報道しない。

 新聞やネットニュースでの報道も控えめです。


 マスコミに圧力がかかっていることは明らかです。

 世間の人たちに騒がれては困るからです。

 司法は世間の目から隠れ、不都合な行為をやりぬこうとしている。



 このまま、国家による犯罪行為を見逃してはなりません。


 どうか見て知ってください。


 





追記:

冤罪の裏でさらに許せないのは、真犯人がのうのうと逃れ生きていくことだ。
被害者の方も、本当にやった人を処罰して欲しいと思わないものか?
自分の憎しみを解消する相手がいれば、無実の人でも誰でも良いと言うのか。
誰でもいいから生贄が死んでくれたら納得するのか?
 ……それでいいのか。
私だったら、何の罪もない家族が殺されたうえ、さらに無実の人が逮捕されて殺されることこそ耐えられない。被害者ばかり増え、自分と同じ苦しみを他の家族も味わう。そして実際にやった奴が、のうのうと生きていく。
こんなことは、もとの犯罪以上に許せない。

近年、冤罪が量産されるいっぽうで、真の凶悪犯には吊り合わない甘い判決も大量放出されている。
何もやっていない人たちばかり苦しみ、他人を苦しめる人間たちは自由に生きてせせら笑う。
何をやっているんだこの国の司法は。
これは国民に対する嫌がらせではないかと思うことがある。
裁判官たちは何の罪もない人たちを苦しめて喜ぶ趣味があるのかもしれない。

神である法曹たち

  このブログは法律専門ではないし、著者も法律のプロではないので深く追求していくつもりはないけれど、せっかく先日プロの方からTBをいただいたのでもう一度考えてみます。

 まず、追加資料。

 以下の記事では、仙台高裁のいわゆる“不当判決”について、本当のところどうなのか?ということを詳細に解説されています。必読です。

 Because It's There様 筋弛緩剤事件控訴審?弁論なしの結審・判決は適法なのか?


 必読、…と言っても素人(私を含めて)には難しい内容です。

 ポイントはこんなところですか。
(1) まず、弁論なしの結審・判決は適法なのでしょうか? 

先ほど述べたように、事実の取調べ(刑訴法393条)を行った場合には、検察官及び弁護人は、その結果に基づいて弁論をすることができます(刑訴法393条4項)。そうすると、控訴審では事実の取調べがなされたのですから、弁論を認めないことは刑訴法393条4項違反ということができます。

そうすると、「弁護団7人は判決言い渡しの前に『弁論させてほしい。弁論した上で判決を言い渡すのがルールだ』と求めた。」ことは妥当な主張であるといえます。

もっとも、「田中亮一裁判長は『昨年10月の4回目の公判で弁護人は最終弁論せずに退廷した。これは弁論権の放棄だ』と」主張しています。

この点、弁護人の最終弁論が予定されている公判期日に、弁論の機会が与えられたにもかかわらず陳述しないときには、権利を放棄したものとして陳述を聞かないで弁論を終結したり、判決することは適法とされています(東京高裁昭和54年5月30日判決、東京高裁昭和55年7月18日判決)。
控訴審は、この下級審判例を基にして、弁論権の放棄であると評価して、弁論なしでの結審・判決を適法と考えたものといえます。

しかし、下級審判例が弁論権を放棄したと評価しているのは、「弁護人の最終弁論が予定されている公判期日に、弁論の機会が与えられたにもかかわらず陳述しないとき」なのです。また、この事実の取調べ後の弁論(刑訴法393条4項)を規定した趣旨は、事実の取調べが行われた以上その結果に基づき当事者の意見を尽くさせようとするものですから、「弁護人の最終弁論が予定されている公判期日」が設定されていない場合にまで、弁論権の放棄と評価することは、刑訴法393条4項の趣旨に違反すると考えます。

控訴審では、第3回公判で最終弁論の期日を示唆はしましたが、結局は最終弁論期日を決めていませんし、そのため、第4回公判では弁論の予定がなかったわけなのです。

そうすると、第4回公判は「弁護人の最終弁論が予定されている公判期日」でなかったのですから、第4回公判で弁護人は最終弁論せずに退廷しても、弁論権の放棄と評価できないのです。ですから、弁論を認めないことは刑訴法393条4項違反であり、違法であると考えます。

 要するに、田中亮一裁判長が最終弁論を認めないことの根拠とした判例(赤字でマークしたところ)は、今回の場合と異なるケースだった。
 このため、今回の場合は弁論させなければならなかったところ(刑訴法393条4項)、弁論させなかったので違法であるだろう。という考え。 
 (大雑把な訳で申し訳ないです。間違っていればご指摘ください) 

 あくまでもこの方の考えですが、一般人が見ても筋が通っていると思います。

 なお、先日TBをいただいた元検察官の方は、以下のようなあっさりとした書き方をされています。(たぶん一般向けに分かりやすくするため、簡単な説明で終わらせたのでしょう)

弁護士のつぶやき様 ●筋弛緩剤事件控訴審判決公判

 仙台高裁が被告弁護側の言い分を聞かなかったという批判は、内容面と手続面において、あたっていないところがあります。

…控訴審が弁護人の最終弁論を認めなかったのは、弁護人が前回公判で自ら退席してしまったことが主たる原因のようです。
 裁判所はこれを弁護人の弁論権の放棄と見たようです。
 本件のような事件で弁護人の最終弁論を聞かないという訴訟指揮については批判はあると思いますが、それを聞かなかった裁判所の訴訟指揮にも一理あるわけです。
 そしてその一理の原因を作ったのは弁護人です。

 弁護人は、最後まで裁判所を説得する努力を続けなければならない。
 退廷してしまっては説得も何もありません。

 さらには、
「裁判長は法廷の独裁者」
とまで仰っている。

 “弁護人は何があっても職責を放棄すべきではない”という意見はその通りだと思うが、手放しでこの裁判を妥当と考えるのは、常識的な感覚から見ていまいち納得出来ません。
 裁判長が、不当あるいは違法かもしれない命令にも、絶対従わなければならないほどの独裁者だとすると、わざわざ検察や弁護人を置いて裁判を行なう意味はどこにあるのでしょうか。裁判長一人で決めればいいと思いますが。

 さらに言えば、この部分
 そもそも控訴審というのは、一審の裁判の続きをやる場でも一審の裁判のやり直しをする場でもないのです。
 一審の判断が正しいかどうかを点検・審査するというのが建前です(このような建前を事後審といいます)。
 言い方を変えますと、刑事裁判は一審(地裁)で充実した審理をしなさい、検察・弁護双方ともやれることは一審で全部やりなさい、ということです。

 その観点で本件を見てみますと、仙台地裁の一審は2001年7月11日の第一回公判から2004年3月30日の判決公判まで約2年9カ月が費やされ、その間、証拠調べ期日が150回近く開かれています。
 これはかなり充実した審理が一審で行われたと言っていいでしょう。

 そして控訴審は期日こそ4回程度しか開かれていないようですが、1審の判決から2年近くが経過しており、その間仙台高裁において膨大な訴訟記録を精査していたものと考えられますから、仙台高裁の審理は必ずしも拙速とは言えないと思います。

 これこそ、実は一般人が最も “クサイ” と感じるところです。

 2年9カ月と証拠調べ期日が150回開かれたからといって、果して、
“かなり充実した審理が行なわれた”
 と言い切って良いものなのだろうか。
 また、
“その間仙台高裁において膨大な訴訟記録を精査していたものと考えられます”
 とはかなり楽観的な見方ではないのか。

 「プロだから職業倫理に忠実に、きちんと仕事をしているはず」
 と考えるのは甘い、と我々は経験として知っています。証拠調べや訴訟記録の精査の際、何らかの歪んだ心理がはたらいて、事実を正確に判断しない可能性は絶対にないと言い切れますか。
 言い切れるのだとしたら、何を根拠に?
 
 また、彼は刑事訴訟法ゼミ出身の学生からの質問、
?この裁判では、鑑定書などの科学的な証拠の価値が一審で大きな争点になりました。
こうした科学的証拠は、捜査段階では非常に利便であると同時に、安易な信用は危険でもあるように思います。
訴訟を担当する検察官の立場とすれば、こうした証拠にはどのように向き合うべきと考えていらっしゃるでしょうか。または、どのように向き合われているでしょうか。
【風の精霊様】
に対し、以下のように回答されています。
 鑑定については、再鑑定のための資料を残していなかったことが厳しく批判されていますが、筋弛緩剤を検出した鑑定自体の信用性が認められてしまえば、再鑑定ができないからといって、鑑定の証拠価値が減じるとは思えません。

 ここで風の精霊さんの質問に答えますと、まともな検事であれば、本件の鑑定の決定的な重要性はすぐにわかります。
 鑑定において問題になるのは、主として、検体の同一性と鑑定自体の信用性です。
 ですから、前者については検体の入手経緯と保管状況、鑑定に供するまでの手順等をできるだけ客観的に証拠化することを警察に指示します。
 鑑定自体の信用性については、基本的には鑑定人を信頼するしかありませんが、公判における弁護人からの批判に備えて、一生懸命勉強します。

 これも、“鑑定人を信頼するしか”ないわけですね。 
 そして鑑定人を信頼するという前提があるならば、
「客観的に証拠化」
されたものを提出されたならそれは価値ある証拠となる。
 だが鑑定人もバカではないから、もし捏造するとしたら完璧なものを提出するでしょう。
 いったい何を根拠に、「筋弛緩剤を検出した鑑定自体の信用性が認められた」と検察官は言えるのでしょうか。 
 そこはプロの検察官として「一生懸命に勉強して…」信用性のある証拠かどうか判断するらしいが、恐ろしいことに、この段階でも
「検察官が誠実ならば」
 という大前提が必要となってきます。

 (たぶん、この記事を書かれた元検察官・矢部善朗様は、とても誠実だったのだと考えられますが)
 
 疑ってしまえば誰も彼もが怪しく思えてくるけれど、しかし一般の目線から
「この裁判はヘンだ」
と感じるような事件では、
“警察・検察・裁判官は100パーセント誠実で完璧な職業人です”
 などというお気楽な見方が正しいとはとても思えません……。


*****

  
 さて、前記事で私はわざと、うがった見方をしてみた。
 あれはテレビ番組や支援者側の記事でまことしやかに語られている、最もポピュラーな“冤罪説”の概要だ。無論、私も個人的に、それが真実である可能性を感じている。 (その後、真犯人とされる人物の名を出すことはここでは控えました。社会的な制裁としての魔女狩りに繋がる恐れがあるため)

 噂話をあえて書いたのは、あくまでも、この事件に
「冤罪疑惑が囁かれている」
 という事実を覚えておきたかったから。

 そして、冤罪疑惑がこれだけ長く囁かれ続けている事件が、有罪となる日本のシステムに疑問を抱いておきたい。
 深い疑惑がある事件において、推定無罪の原則が守られない国家を、
「法治国家」
 と呼ぶべきではないと私は思うので。


 どうやら法曹の先生方(特に検察関係の方々)は、裁判員制度が実施されることにより、一般人が同情心で無罪を乱発することを心配されているらしい。
 たとえば今回の守被告のケースを眺め、
「いい加減な報道のイメージだけで、一般人は守被告を冤罪と決めつけている。こういうバカな一般人が裁判員として法廷に入ったら、誰も彼もが無罪にされてしまう」
 と憂慮されているらしい。

 けれど私はむしろ、裁判員制度実施で逆のことを憂慮する。

 実際、一般人が有罪判決を出す時の心理的負担は大きいから、多くの人が最初は有罪判決を避けようとするだろう。

 しかしそこに立ちはだかるのが、法曹の先生方――いわば知的独裁者――の壁である。
 
 たとえば最初に引用したBecause It's There様は、こう仰っている。
5.控訴審の裁判官は、被告人が有罪であることを最初から疑うことが無かったことから、殆ど事実の取調べをすることもなく、かなり強引に訴訟手続を打ち切ったものと推測されます。

このような訴訟進行については裁判員制度が実施された後、非常に危ういものだと感じています。控訴審のような裁判官は、裁判員となった一般市民の意見を強引に押さえ付けて、強引に訴訟進行しようとする危険性があるからです。…(略)

 その通りだと思う。
 裁判員制度実施後は、ただでさえ裁判員の負担を軽くするために手続きが簡素化されるらしい。そこで今回のような裁判官の強引さが現れたら、一般人の意見が操作されるのではと怖れる。

 話を早く終わらせたい法曹の先生方が、彼ら独特の理解しがたい理屈で結論を説いて聞かせたら?
「報道の噂話を信じるのはバカですよ」
 と耳元で囁いたら?
 一般人は、納得出来ないまま法曹の奴隷となるしかないのでは。

 結果、今まで通り、いやむしろ今までよりスピーディで簡単に有罪判決が出やすくなる気がする。
 あくまでもイメージに過ぎないが。

 そもそも推定無罪の原則に立つ刑事裁判では、無罪の乱発よりも、有罪の乱発こそを怖れるべきではないのだろうか。少なくとも法曹ならば、当然に……。
 
 精神論しか言えない一般人として、最も強く思うのは
罪を犯していない人間に有罪判決が降されてはいけない
 という、根本的なこと。

 それなのに体裁がきれいに整ってさえいれば、
「裁判は正しく行なわれたのだから、有罪判決で当然だ」
と笑顔で言えるのだとしたら。
 法的精神の前に、人間性を疑う。

 どうか法曹である前に、人間であって欲しいと願う。
 人生や生命を賭けて裁判に出ている被告人の頭越しで、モルモットを批評するような議論をしている“神様”たちには、人間の気持ちを理解するのは難しいだろうか?


-----------------------------
用語解説/ 推定無罪(すいていむざい): 否定できない証拠によって、確実に有罪であることが証明(有罪として宣告)されない限り、被告人は 「無罪」 であると推定される。


TB先(参照ブログ):科学者の方のご意見です。 ・5号館のつぶやき様 可能性と真犯人と
 





以前のブログでいただいたコメント


COMMENT:
AUTHOR: 春霞
DATE: 03/28/2006 00:07:26
TITLE:
はじめまして、ブログでの紹介とコメントありがとうございます。

>…と言っても素人(私を含めて)には難しい内容です
す、すみません、分かりやすいように心掛けます(汗)。もっとも、これくらい知っていると、プロと相当程度太刀打ちできると思います。

>大雑把な訳で申し訳ないです。間違っていればご指摘ください
間違ってませんよ、大丈夫です。むしろ自分の記述に誤植を発見しました(汗)。「なかったわけのです。」は「なかったわけです。」に修正をお願いします。

>冤罪疑惑がこれだけ長く囁かれ続けている事件が、有罪となる日本のシステムに疑問を抱いておきたい
一般人のかなりの人が冤罪疑惑を抱いているのですから、その冤罪疑惑を晴らすだけの手続を、もう少しでも控訴審でして欲しかったです。そうすことで、被告人側も一般人も公平な裁判をしていると感じると思うのですけどね…。
-----
COMMENT:
AUTHOR: light
DATE: 03/28/2006 11:50:07
TITLE:
春霞様!
リンク&参照、お許しいただいてありがとうございました。
春霞様の記事がなければ、危うく一方的な見解(裁判は妥当だとするもの)を信じてしまうところでした。このように引用させていただけると、読者も両方を比べることが出来るのでありがたいです。

>す、すみません、分かりやすいように心掛けます(汗)。
いえ、むしろ分かりやすさのみを追求して言葉足らずになるのは危険かと思います……。
法律専門ブログとして、どうか春霞様の記事は今のレベルであってください。

>冤罪疑惑を晴らすだけの手続を、もう少しでも控訴審でして欲しかった
そうですね。
今回の事件では、「疑惑を晴らせるもんなら晴らしてみろ」って感じですが。
もっと論理的で科学的、そして原則に忠実な裁判をお願いしたいです。

-----
COMMENT:
AUTHOR: 赤ちゅん
DATE: 03/30/2006 04:24:39
TITLE:
はじめまして赤ちゅんと申します。
(light)さんの書かれた記事に大変共感できたのでトラックバックさせて頂きました。お許しいただけると幸いです(笑)
「罪を犯していない人間に有罪判決が降されてはいけない 」
本当にその通りだと思います。
この事件は鑑定書も事件性も犯人性も疑惑だらけです。
こんなのを有罪にしてしまった仙台地裁と仙台高裁に激しい憤りを感じます。
最高裁が少しでもまともであることを祈るばかりです。
-----
COMMENT:
AUTHOR:light2
DATE: 03/30/2006 22:03:59
赤ちゅん様、初めまして。
コメントとトラックバックありがとうございます。

この事件が冤罪かどうかは、あくまでもまだ「疑惑」に過ぎませんが、しかし素人目にも納得の出来ない証拠で有罪判決を降している。
これほど馬鹿げた裁判はありません。

それを、プロである法曹たちが他人ごとで眺め、
「手続き的・内容的に裁判が正しいから、あれは有罪でいい」
とせせら笑っていることに、さらなる憤りを覚えました。

裁判をお遊びのゲームか何かと勘違いしているようです。
ゲームで終身刑や、死刑判決を下される一般人のことを何とも思っていない。
許せませんね。

守被告が最高裁で無罪になることを願います。
そして他の生贄にされた人々にも、生きる権利が戻ることを。
-----
PING:
TITLE: 筋弛緩剤事件控訴審?弁論なしの結審・判決は適法なのか?
URL: http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-65.html
BLOG NAME: Because It's There
DATE: 03/28/2006 00:23:43
いわゆる筋弛緩剤事件の控訴審は、平成18年3月22日に無期懲役を言渡しました。控訴審においては、弁護側の証拠申請が殆ど却下され、弁論を開くことなく結審しました。そこで、控
-----
PING:
TITLE: 仙台高裁の判決とその報道について
URL: http://blog.livedoor.jp/red_chun/archives/50466348.html
BLOG NAME: 赤ちゅん生日記
DATE: 03/30/2006 03:18:01
(北陵クリニック事件)去る2006年3月22日 仙台高裁で予想通りの判決がでました。2004年3月30日に出た一審の判決よりも更に検察寄りの不当な判決だったと思います。




日本は法治国家ではない

 筋弛緩剤事件の仙台高裁判決に関し、マスコミが口を閉ざしている。
 新聞での扱いも酷いものだ。それほど強大な権力からの圧力がかかっているのか。

 偏った見方を読者に押し付けるわけではないが、私個人は今までの情報を見る限り、守被告を文字通りのスケープゴートだろうと考えている。
 つまりこの事件は決して誤認逮捕などではなく、初めから守被告を
「真犯人の代わり」
として逮捕したということ。
「警察が間違えて逮捕してしまった」
 などと考えるのは、あまりにお人好し過ぎるということだ。
 警察も検察も、裁判官までもが一致団結して、証拠も何もないところから「守被告」という犯罪者を作り上げた可能性がある。
 ※あくまでも記事や今までの報道を観た、私個人の印象です
  
 だとするなら何故、警察や裁判所は守被告を生贄にしなければならなかったのか。
 その理由はよく言われているように、……(以降、真犯人として具体的な人物の名を出すことは問題あるのでカット)

 むろん資料は守被告の支援者側からの一方的な情報。この情報を安易に事実と考え、冤罪と決め付けてもいけないだろう。
 しかし可能性としては資料が事実であるとも考えられる。
 いや、印象としてこの事件が“冤罪ではないかと感じられる”。
 
 そして、冤罪という疑いが生じた時点で、刑法の裁判では必ず無罪にしなければならない。
「疑わしきは罰せず」 
 は厳格に守られなければならない法の原則である。
 
 重ねて書くが、「疑わしきは罰せず」という最低限の法が守られない裁判制度では、制度そのものがなきに等しい。
 
 これは日本が法治国家ではないということだ。

 法の欠けた国家は、国家とも呼ぶべきではないと私は考える。
 実際、このような国では一分一秒でも生きていることが危険なのだと、多くの人が感じるべきではないかと思う。


追加資料:

 ・「冤罪か?仙台北陵クリニック筋弛緩剤点滴混入事件」元司法試験受験生の考察 
 
 ・北陵クリニック事件のページ / 不当判決への抗議文(PDF)

冤罪疑惑事件に不当判決

 WBC優勝の興奮冷めやらぬ今日、守被告に高裁までもが無期懲役を言い渡したというニュースに接し、衝撃を受けている。

筋弛緩剤事件、守被告に2審も無期判決 (読売新聞)

 仙台市泉区の北陵クリニック(2002年廃院)で筋弛緩(しかん)剤を患者の点滴などに混入したとして、1件の殺人と4件の殺人未遂の罪に問われた元同クリニック勤務の准看護師守(もり)大助被告(34)の控訴審判決が22日、仙台高裁であった。

 田中亮一裁判長は、無期懲役を言い渡した1審の仙台地裁判決を支持し、守被告側の控訴を棄却した。

 公判で守被告側は「事件はでっち上げ。犯人だと示す物的証拠はなく、鑑定の信用性にも疑問が残る」と無罪を主張したが、田中裁判長は、主文の前に朗読した判決理由の中で、「鑑定は合理的で妥当。容体は筋弛緩剤投与によるものと認定できる」などの判断を示した。

http://news.www.infoseek.co.jp/search/story.html?query=%8E%E7%94%ED%8D%90&q=22yomiuri20060322it11&cat=35

 この事件は冤罪ではないかと言われていて、真相を私たちが判断することは出来ないが、しかしド素人が見ても捜査に問題があることは明らかである。(資料参照)

 それを、「合理的で妥当」!?

 狂気の沙汰だ。
 
 「疑わしきは罰せず」という言葉を忘れたか。

 これでは、「疑わしきは全て罰せよ」だ。

 この国に裁判制度はなきに等しい。
 やったかやっていないかは関係ない。
 国家権力によって無差別に選ばれ、「犯罪人」とされた時点で、その者は確実に有罪となる。

 明日は我が身。

 日本人よ、……こんな国に生きていていいのか……?

---------------------------------------
 
資料:
救援会岡山県ニュースの記事より

 私たちは、次のような理由で、この事件がえん罪だと確信し、支援しています。
? 強要された「自白」が唯一の「決め手」で、犯行の目撃者もなく、検察の立証もない。
? 守さんを犯人と思い込み、「守でなければ自分たちが疑われる」と思わせ、見込み捜査にって関係者の証言を誘導している。
? 筋弛緩剤の紛失事故は守さんの就職前からあった。
? 筋弛緩剤は代謝が速いため、点滴に混ぜても殺人はできない。検察は、途中から三方活栓から入れたと変更した。
? 警察は、規則に反して試料を全量消費して鑑定している。これでは再鑑定ができず、証拠価値がない。また、3時間後の成分量と1週間後の成分量がほとんど変わらないのは、代謝速度からするとあり得ない。
? 主治医が、患者の死因は筋弛緩剤ではないと明言している。


 ・事件の現場となった薬剤混入病院に三つの謎


 ・「仙台・北陵クリニック事件」弁護団長 阿部泰雄弁護士が講演


僕はやってない!―仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記
僕はやってない!―仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記

内容(「BOOK」データベースより)
前代未聞の冤罪事件、その真相は医療ミス隠しか!「犯人はお前しかいない。早く死ね。」苛烈、残酷な取り調べの実態!再鑑定用のサンプルすらない「証拠」のずさんさ。


*****
参考になりました。

 らくちんランプ様「北陵クリニック事件(仙台筋弛緩剤事件)を巡って行われた「狂気の裁判」」

 生きてる証をブログに刻む様 「北陵クリニック事件被告の手記」 

 どん底あるいは青い鳥様 「仙台筋弛緩剤事件」

 言語学研究室日誌様 「北陵クリニック事件、仙台高裁判決と共時性」 
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